古いから出てくる当然の問題

寺

建立当初から発生する

寺院や神社などは基本的には廃業という憂き目にあうようなものではないと考えている人もいるだろう。しかしこうした建築も管理する人間がいなければその分だけ廃れてしまい、さらに訪れる人が極端に少ないなど、地理的な問題で訪問客が少ないといった問題を内包していれば、例え潰れはしなくても存在が1つの集合体として統合されてしまうということも頻繁にある。ただ一個体として存在しなくなるというだけで、存在そのものが消えてしまうという心配はない。宗教という存在はこういう意味でも大きく立場として異なっているものだと改めて痛感できるだろう。

ただいくら存在が消えないとはいっても、やはり問題はそこかしこにあるものだ。寺院や神社に限定するわけではないが、建築物が出来上がった瞬間に生まれる危険な可能性とは『老朽による建物の痛み』や『自然・人為的な力などによる破壊』といった、建物そのものに直接的なダメージが与えられるということ。当然被害を被ればその分だけ建築物も原型を保てなくなる、過去に起きた災害や何かしら悪戯に建物を破損させるなどの悪質な行為も横行しているものだ。

出来るのであればダメージを受けてほしくないと、このままの形でずっと保ち続けてくれないかと考えている人は多いはず。特に管理をしている人たちにすれば、軋みや歪みなどといったものが酷くなればなるほど、保全に努めなければならない。そのために毎日しっかりと掃除を始めとした補修を行っているわけだが、もし壊れてしまった場合にどうなるのかというのを少し考えてみよう。

修繕も楽ではない

もし寺院などの建材に多大なダメージが受けた場合などが発生した場合には補修は行われるものだが、日本の高温多湿という気候を活かした木造建築と言っても、限度がある。昔と今では違いこそあるが、歴史的変遷における過程において古代から見ていくとやはり湿気に悩まされる寺院などは多かったと見るべきだろう。湿気を吸いすぎれば当然木材の内部にに余分な水分が蓄積され、腐敗の原因となり、また虫害といった被害を生み出す要因にも繋がってしまう。

そうした傷んだ建材が出てきたら、大工などの技術者たちは傷んだ箇所だけを取り替えて修理するという方法を取ることで、建物の維持に努めていった。こうした動きの中でやはり木材ではなくもう少し違うものの方が良かったのではないかと、そう考える人もいるだろう。例としてあげるなら石造建築といったヨーロッパならではの建築様式にしたほうが良かったのにと、そんなことを思ってもおかしいことではない。確かに耐久力という点では木造建築よりも優れているが、高温多湿となっている地域の日本においては地盤沈下の可能性があるため、あまり広まらなかったのも可能性として見られる。

木材建築が中心となっている寺院建築にしろ、神社建築にしろ、後から出てくる痛みを始めとした木材ならではの問題を如何に解決するかは宮大工の実力次第という面もある。ただ一部ではある一定期間で建材を交換するなどの作業が行われてもいるが、そうなるまでに多くの宮大工たちが苦心を重ねてきた事が知れる瞬間でもある。

国宝級ともなると

取り潰しなどの問題にも遭遇することになった寺院だが、難を逃れた寺院などは自動的にこの国にとって貴重な文化財として扱われるようになったものが多く存在している。中には国宝級の代物まで出て来るようになったほどだ、それだけの物になると当然管理なども厳重に行われなければならない。特にこの国にとっては雨季とも言える梅雨が存在するため、建物の痛みが募りに募って雨漏りが発生することも容易にあるため、なおのこと定期的なメンテナンスが肝心となる。国宝ともなれば維持費もバカにならない、あらゆる手段を用いて保全に努めようとする当時の試みは理解できるが、同時にそれらの行動によって失われそうだった物があった。

技術の復元を考慮して

建立された寺院の保全に務めるばかりで、当時の職人により建築された寺院の原型を目指しての復元、というものは根底から存在していなかった。そのため、貴重な技術が失われてしまい、二度と復元できなくなってしまったという物もきっとあるだろう。当時はそうした技術的な部分までを考慮していなかったが、最近になって残された資料などを参考にして建立当初の姿をそのままに再現、というよりは復元するといった試みが行われるようになる。

その後、補修・修繕といった工事に関して台風や地震などといった日本ならではの自然災害によって起こりうる脅威の可能性から文化財を守るよう、現代ではそうした取組も行われている。それだけ文化的にも貴重という顕れに他ならない。

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