古代から近世にかけての寺院とは

寺

建築様式の変遷

寺院の建築様式については先に紹介した特徴を参考にしていただければ理解できるだろう。そうした点を考慮した上で、明治維新によって行われた廃仏毀釈が開始される時代に至る時まで、どの時代でどの建築様式が採用されたかについては、

時代が被っているところもあるが、建築技術とそれに伴う変遷は上記のように変遷していった。そもそも中国から伝来した、いわば異教だったものが日本に根付き、それらに影響を受けた当時の人々により日本人にも馴染み深い仏教が構築されていく。ただ伝来した建築様式はあくまで『中国独自』となっており、それが真の意味で日本人全てにとって趣が感じられるものとして扱われることはなかった。そのため、日本人の特性と好みを重視した建築様式である『和様』が誕生し、それを基にして後に続く建築様式も誕生していく。

つまりだ、この時点で伝来した原点となる仏教を崇める寺院建築は伝来した当初しか存在せず、その後の発展はあくまで日本人向けの寺院とするために技術者は練りに練って構築した日本のオリジナル性溢れるものということだ。

台頭してきた建築様式

仏教に対して否定的な意見を述べる人は現代でこそいなかったが、神道が蔑ろにされていたため疑問を抱いていた人もいたかもしれない。しかし廃仏毀釈のように目立った動きを見せることはなかったのは、寺院の建築様式があくまで日本人視点で、日本人の好みによって作られたものだったからこそと言える。これが中国独自の建築様式をそのまま採用していたとなったら、また状況は変わっていたかもしれない。それこそ明治時代を待たずに寺を壊そうとする動きと仏教という存在を廃止しようとする動きは活発だったかもしれない。

そんな中で、こうした建築様式が変遷して行く中でより良い建築様式はないかと模索する動きは当然存在していた。何事も探究心と技術者ならではの進化を求める人はどの時代にもいるもの、中世の時代においてもそれは確かにいた。その結果として寺院の建築様式に新しい技術が登場する、それが『折衷様』と呼ばれるものになる。

折衷様の特徴

折衷様とは字の通り、複数の建築様式の技術を取り入れて開発されたものとなっている。最大の魅力として取り込んだ技術の一番良い所を抜き出して採用し、これまで建築的にどうしても拭いきれなかった弱点や技術の改良が行われたものになっている。登場したのは鎌倉時代、ちょうど禅宗様と同時期頃に開発され、導入していったものだ。折衷様は和様をベースにした大仏様と禅宗様、二つの技術体系における利点を盛り込んで、それぞれの欠点を補った形となっている。その結果もあってか、室町時代になると大半の寺院建築が折衷様を採用するようになり、大半がそのような特徴になっていったとも言える時代へと差し掛かっていった。

宗教ごとに違う建築様式

建築様式の特徴についてはそれぞれ特徴となる部分は出てくるもの、日本人好みを基にしたからといって、和様にしろ、大仏様と禅宗様、さらには折衷様に至ってもそれらは共通点こそ存在しているが、個性とカテゴリーする部分は異なっているもの。起源こそ繋がっているが、あらゆる可能性へと分岐した結果として様々な様式が誕生したことは非常に興味深いところでもある。

ところがこうした特徴のほか、更に仏教内部の派閥によっても建築様式は大きな影響をもたらすものだ。代表的な違いとしては『真言宗』と『浄土真宗』という二つの宗派が主となっている。元を正せば同じ仏教だが、中身はそれぞれ別物であり、そしてそれに基づいて寺院建築も独自の様式をベースとして採用されているためこの辺も非常に興味深いところとなっている。

真言宗の場合

簡単に特徴を紹介していくと、真言宗の場合は近世において寺院を建築する際には真言宗本山の許可と各種誓約を守るといった点が考慮されていなければ許されていなかった。そのため本山から正式に許可がとれなければ寺院は簡単に成立できなかったと言われているが、全国各地に点在していた寺院の存在を考えるとそれほど難しくなかったのではないかと、そんなことも思ってしまう。

また寺院を建築する際には仏室や厨子といった『六物の具備』を用意して、救世を崇めるように体制を整えていかなければならないことが、寺院建築の条件となっている。

浄土真宗の場合

次に浄土真宗の場合では、和様をベースとしている中でそこに唐様となる中国ならではの建築様式を取り入れた混在建築が一番の特徴になっている。一時期は明確に分けられて建立していたが、安土桃山時代から江戸時代頃までには両者の区別がつかなくなるほどになってしまったため、混合しているといっても間違いではない。

寺院建築に関してはそれほど厳しく取り締まっていた訳ではないようなので、真言宗よりかはある程度融通は効いたと言われている。ただ建築様式については一定されておらず、時代背景や整備する際における諸々の事情などが絡みあって、様式そのものは本山のものとは別格とされている場所が多いことも特徴となっている。事情という点を考えれば何となく理解できなくもないが、複雑過ぎるのも考えものだ。

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