寺院建築を知る

寺

歴史を感じさせる逸品を楽しむ

日本を観光する時の楽しみとしてあげられる、寺院を始めとした名所巡りが楽しくてしかたがないと答える人もいるだろう。先に付け加えておくとこちらの記事を特集しているのは日本人なので予め付け加えておく。もう1つ言っておくと、寺院などを訪れるともはや時間の経過を忘れてしまって、いつまでもいたくなってしまったりする。街中を歩いていても寺院などがあればフラット時間の許す限り立ち寄ってみたいと思ったりしないだろうか。京都・奈良といった世界的に有名な観光地に限定されず、日本全国には幾多にも及ぶ寺院を始め、神社が数多く建立されている。

ただ日本的な視点で言えば、本来は神社が主流だ。筆者もどちらかと言えば神社推しだが、寺院が特別嫌いというわけでもない。積極的に訪れるかどうかの違いだけだ、などと言ってしまうとかなり偏見が混じってしまいそうだ。日本に訪れる外国人観光客は勿論、日本人もこうした日本ならではの文化を楽しむために毎年各地で何百年という歴史を積み重ねてきた寺院や神社を訪れているだろう。その中でも京都などのかつて古代から中世前まで日本という国の中心点だった近畿地方は別格だ。毎年呆れるほど多くの観光客がシーズンに訪れてはごった返す、昨年も久々京都へ赴いた時には相も変わらずの人の多さに圧倒されてしまった。身動きひとつ取れないというわけではないが、それでも自由にのんびり観光したいという願いは届かないので、少しばかり惜しい気もする。

そんな寺院や神社というキーワードをベースに今回紹介していこうと思うのは、日本という文化の中で決して切り離すことの出来ない文化遺産として登録されている寺院や神社、神様が祀られている社などを始めとした建物に利用されている『建築様式』について、話をしていこう。かなりマニアックな内容と取られるかもしれないが、こうした建築技術は現代の日本にも通じる部分があり、何も身近ではない話題ということではない。知っていればその分だけ興味もわくはずなので、そうなるようにあまり極端に傾倒しすぎない程度に、一般の範疇で話していこう。

一時期、寺院は危なかった?

順番を追って話をしていこうと思う、まず最初に神社、といきたいところだが好きなものは最後に残しておきたい性なので、今のところは暴走傾向に陥らないように歯止めをかけるため、先に『寺院建築様式』について考察していく。寺院建築と言っても別段何かが特別凄いとか、こんなギミックが仕掛けられてて実は合体するんですとどこのSF作品ですかといった超展開は無いが、シンプルなほど技術としても匠の技がそこに凝縮されているからだ。ものの見事な業と、その一言に尽きる。

しかし寺院は一時期その存在が日本から無くなってしまうのではないかと危惧されていた時期があったことをご存知だろうか。契機となったのは明治維新、本当の意味で国際社会で生きる日本の黎明期とも言えるこの時期に、行われたある政策によって寺院というものの存在が必要かどうかが問われるようになる。それは明治以前まで日本では寺院にしろ、神社にしろ、この二つをはっきりと明確に違うという区分をしていなかったからだ。時代でいうところの『神仏習合』に基づいていたため、特別どっちがどっちという風に分けて考える必要が無いという見解が広まっていた。

ところが明治維新を迎えた新時代において神仏分離令が発布・施行された事により、寺院と神社を分けるように報せを出し、これによって一部寺というより仏教に対しての反勢力による行いによって打ち壊しなどの被害が発生してしまう。それから逃れるため、寺は神社へと改変することで難を逃れるという手段を取らざるを得なかった。

これによってはっきりと寺という存在が根絶される恐れはなくなったわけだが、寺の起こしたこれらの行動によって別の問題が浮上してきてしまう。

区別がつかなくなってしまった

こうした当時の明治政府主導の下で行われた廃仏毀釈によって全国各地のお寺が取り潰しという憂き目にあってしまった。その中でも一番といっても過言ではない場所では露骨に取り壊しが横行していたという。何処かというと、この国で最も人気のある神社でもあり、毎年何十万人と訪れる観光名所としてもその地位を明確にしている伊勢神宮の近辺に建立していた寺については特に行われていたという、その数実に100ヶ所以上というのだからお盛んにも程があると一瞬言いたくなってしまうところだ。

廃仏毀釈が原因となり

これでは寺が取り壊しを恐れて神社の様式へと建物の作りを変遷しようという取り組みに繋がるのも無理はない、ただ元を正せば昔から続く神道と伝来してきた仏教とを融合してしまった風習が原因といえば原因だ。そのことを考えると当然昔から仏教に対して反発心を抱く勢力があってもおかしくない。募りに募った鬱憤を晴らすように行われた廃仏毀釈については些かやり過ぎのようにも感じるが、おそらくは宗教的な価値観の違いで、これまで罷り通っていた不条理と信じることを正すために行われた正義などと理由づけて、行った張本人が政府内にいたと考えられる。そうなると私怨に近いのではと感じるが、昔から政治は人が動かすものであって、人のエゴで法も左右されてしまうのでそれが当時にとって一番正しいことだと信じられていたのだろう。

ところがそうした断罪のごとく行われた廃仏毀釈によって問題が発生する、それは神社と寺という二つの区分がいまいち付けられなくなってしまったという問題だ。取り壊しから難を逃れるために神社様式の建築に切り替えたところが多発したため、現在まで寺なのか神社なのかというどちらとも付かなくなってしまったのだ。当時政策として行った当人にすれば間違ったことをしたつもりはなかったのだろう、ただそれもこうした状況を踏まえると露骨に存在を押し潰すやり方をしたことでより混迷とした宗教形態へと追い込んでしまったことは否めない。こうしたところは何処と無く、異教を廃していた中世に近い部分があると言える。何にせよ、現代まで建立している神社・寺という物を区別するとなったら専門家でも困難だという事実だけは踏まえておこう。

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